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会社概要
会社名 | 柿文織物株式会社 |
所在地 |
<本社工場> 〒376-0011 群馬県桐生市相生町2丁目828番地 TEL : 0277-52-2091 FAX : 0277-52-2191 |
<第二工場> 〒376-0011 群馬県桐生市相生町2丁目77番地 TEL : 0277-52-2092 FAX : 0277-52-2093 |
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代表者 | 代表取締役社長 柿沼 太郎 |
創業 | 大正8年(1919年) |
設立 | 昭和28年(1953年)2月21日 |
資本金 | 3,000,000円 |
事業内容 | 織物業 |
取扱製品 | インテリア資材、土木建築資材、各種フィルター、防災用資材、インソール、綿キャンパス、水質浄化関連資材、婦人用服地、その他雑品用資材等 |
社員数 | 11名(令和元年6月現在) |
取引実績 (2005年以降) ※五十音順・敬称略 |
アンドー、エイブル山内、大室レース、オカモト、クレハ合繊、コメット、小森、サンコロナ小田、サンポープラス、G STYLE TOKYO、下城、スターダスト、ソーエン、長産業、帝人、トヨタ自動車、中富織物、ファクトリー、フジハル商事、ユニチカ他 |
取引銀行 |
足利銀行桐生支店 群馬銀行桐生支店 |
加盟団体 |
群馬県繊維工業技術振興会 桐生織物協同組合 |
沿革
明治年間 | 柿沼藤吉が織物業を始めたと伝わる | |
大正8年 | (1919年) | 遠藤覺太郎が当地にて織物業を創業 |
昭和12年 | (1935年) | 遠藤覺太郎の娘婿 柿沼文吉が柿文織物創立 |
昭和18年 | (1943年) | 太平洋戦争の影響で織機供出、事業中断 |
昭和23年 | (1948年) | 織機復元計画に伴い織機復元 ノコギリ屋根の本社工場建設し事業再開 |
昭和27年 | (1952年) | 三連ノコギリ屋根の本社工場増築 |
昭和28年 | (1953年) | 柿文織物合資会社設立 初代代表社員に柿沼文吉が就任 |
昭和41年 | (1966年) | 柿沼文吉が第1回全国中小企業団体総連合表彰大会において「名誉総裁賞」受賞 |
同年 | 〃 | 本社工場増築(現在整経工場として使用) |
昭和45年 | (1970年) | 桐生市相生町2丁目77番地に第二工場(スルザー工場)新築 Sulzer社製プロジェクタイル式織機導入 |
昭和53年 | (1978年) | スズキワーパー製部分整経機導入 |
昭和61年 | (1986年) | 豊和工業製ベルサマット織機導入 |
平成元年 | (1989年) | 代表社員に柿沼洋一が就任 |
平成14年 | (2002年) | 柿沼洋一が桐生織物協同組合理事長就任 |
平成15年 | (2003年) | Itema社製レピア織機導入 |
平成17年 | (2005年) | 津田駒工業製R200織機導入 |
平成24年 | (2012年) | 柿沼洋一が第13代桐生商工会議所会頭就任 |
平成29年 | (2017年) | 代表社員に柿沼善介が就任 |
同年 | 〃 | 本社工場がファッションタウン桐生推進協議会から「わがまち風景賞」受賞 |
同年 | 〃 | 株式会社に組織変更し、柿文織物株式会社となる 代表取締役に柿沼善介が就任 |
令和元年 | (2019年) | 代表取締役に柿沼太郎が就任 |
ごあいさつ
柿文織物株式会社は曽祖父遠藤覺太郎が当地にて織物業を創業してから100年を超える業歴を積み重ねて来ました。創業当初は主に服地を製造して来ましたが、時代の変遷とともにアフリカやアラブ諸国向けの民族衣装生地、アメリカ向けドレスや裏地用絹織物等輸出物の生産を行ってきました。その後、対米輸出規制、円高の影響から内需用の婦人服地に転換。
現在は、インテリア資材を中心とした産業用資材を生産しています。
当社は3m70㎝までの広幅織物に対応でき、世間では難しいとされているような特殊素材を使った織物の生産が可能であり取引先様からも高い評価を受けております。
「新しい事への挑戦と諦めないこと」を企業理念として、常に新鮮な発想を持ち続け新たなモノづくりにチャレンジしております。
近年は世代交代を行いベテランから若手へと着実に技術継承が行われており、未来ある企業へ、取引先様と共に一層成長して行きたいと考えております。
代表取締役社長 柿沼 太郎